ここでは、長崎で生産される長崎ならではの商品や、長崎で提供される特有のサービスをイメージさせるものを広く「長崎ブランド」というものとします。産業を活性化するための「長崎ブランド」の確立に関する提言などをまとめることができればいいな、と考えています!

2010年01月02日

「長浦西瓜」と補助金制度

「長浦西瓜」と補助金制度

 私の生まれ故郷は、現在の長崎市長浦町、生まれた当時は西彼杵郡長浦村長浦郷である。その地域の特産品として「長浦西瓜」がある。
 「長浦西瓜」は戦前からかなり広く知られていたようで、長崎新聞ホームページ、「長崎新聞120年の歩み」を参照すると、1934年(昭和9年)開催の「長崎国際産業観光博覧会」に呼応して長崎日日新聞が行った人気投票では、北高古賀村(現:長崎市古賀町)の古賀村園芸組合の植木に次ぎ、「長浦西瓜」が2位に入っている。
 「長浦西瓜」は、戦前は上海あたりまで出荷されていたそうである。私は、戦後の昭和30年代前半ぐらいまで、盛んに出荷されていた頃のことをよく覚えている。集荷場に集荷された西瓜は「長浦西瓜」のラベルを貼るのにふさわしいものにだけラベルを貼り、翌朝の長崎の街の市場で行われる競りに出すために、前日の夕方からトラックに積んで出荷していた。
 そんな「長浦西瓜」の出荷も、昭和30年代半ばになると下火になってきた。その理由は、おそらく、西瓜は連作ができないため作付けできる土地が少なくなったこと、周辺地域でも同等の品質の西瓜が生産されるようになったこと、などではなかろうかと推測している。
 出荷が盛んな頃は、翌朝の競りが首尾よくいって明るい顔の生産者が街から帰ってきていたものであるが、落札価格が年々低くなり、生産者の顔に苦悩の色が見え始め、やがて西瓜の生産から撤退する農家も出始めた。

 「長浦西瓜」は、一時期は今で言う地域ブランドを確立していた。しかし、確立した地域ブランドを維持していくためには、品質の向上、生産技術の向上、ラベルを貼付するのにふさわしい産品を仕分けるための基準作りとそれを評価する人の育成などを続けていく必要がある。そのためには、生産者同士が協力することはもちろん、自治体や農協、出荷組合などの組織による支援も不可欠である。

 「長浦西瓜」のことを調べていて、長崎市の「長浦西瓜進行事業補助金」制度があることがわかった。
 この補助金制度の目的は、琴海地区(旧:長浦村)の特産品である「長浦西瓜」を、特産品として維持し、生産者の育成及び農業経営の安定を図ることである。平成19年度から実施されている。

 「長浦西瓜」と補助金制度
「長浦西瓜」の出荷が盛んだった頃を知っている者にとって、行政の支援制度が設けられていることは大変嬉しいことである。このような支援制度の目的を達成するために、地域の農家と農協などの組織が一体となって、かつての賑わいを取り戻して欲しい。また、「長浦西瓜」のブランド価値を高めかつ維持するために、団体商標の登録をすべきであることを提言する。
(石)
写真は2008年6月29日、琴海地区の四季彩館で、旬の長浦すいかをPRする長浦すいかまつりが開催された際のスナップです。(出典:「ながさきの食 ながさきの食ニュース」)http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/shoku/news/topics.php?vm=detail&fid=10000102
(八)



Posted by 在京長崎応援団塾 at 13:22│Comments(0)
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